落語家の桂ざこばさんの突然の訃報で
ネットからは「朝丸さんの時から大好きでした」
「まだお若いのに」「悲しすぎる」と
悲しみのコメントが寄せられています。
ざこばさんは、子供の頃はとても壮絶な過去を過ごされていました。
どんな小中学生時代を過ごしたのでしょうか。
そして、いつ落語界に入門したのでしょうか。
落語家の桂ざこばさん喘息のため死去
落語家の桂ざこばさんが喘息のため、2024年6月12日午前3時14分、
自宅で亡くなりました。
名前 | 二代目 桂ざこば |
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年齢 | 享年76歳(2024年6月時点) |
生年月日 | 1947年9月21日 |
出身 | 大阪府 |
1988年に兄弟子の桂枝雀の助言もあり、二代目桂ざこばを襲名。
1975年4月スタートの「テレビ三面記事 ウィークエンダー」で
泉ピン子さんらとレポーター役で活躍し、全国的人気となり一躍有名になりました。
桂ざこば若い頃から不登校?
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ざこばさんの父親は、ざこばさんが小学校1年生の7歳の時に電車に飛び込んで自殺しています。
母親はざこばさんとお姉さんを養うために着物の仕立てをしながら必死に働いていました。
そこでざこばさんは、家には男が自分しかいない!
母親を助けるため自分のお小遣いは自分で稼ぐと決め
小学校5年の時から大阪球場でアイスクリームの売り子をして働いたそうです。
シーズンオフには、新聞配達をし休みなく働いていました。
中学生に進学すると、大阪球場ではアイス売からビールの売り子に。
さらに百貨店で靴磨きも始めました。
中2の時に、ミナミの繁華街にある精肉店で肉の配達のアルバイトに採用され、
泊まり込みで勉強よりも働くことを優先し
学校にはまともに行かずサボるように。
バイト代のいくらかを母親に渡していたらしく
中学生なりに家系を支えていたんでしょう。
桂ざこばは16歳で桂米朝に入門して20代がイケメン?
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(桂朝丸襲名時のざこば師匠)
ある日、学校に行かずに千日劇場に行った際、
3代目桂米朝が「浮世床」を演じるのを見て感動し
即座に弟子入り志願しましたが、
「学校をサボるような子は噺家にはなれん」と突き放され
すぐには弟子入りを許可されませんでした。
それから何日も米朝の元に通い詰め、中学を卒業したものの
学校をサボっていたため欠席日数が多すぎて進学できる高校がなく
桂米朝に「なら、しゃーないな」と
1963年(昭和38年)5月に入門が許され桂朝丸となりました。
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(28歳のときのざこば師匠)
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(結婚当時のざこば師匠)
妻となる真弓さんと12月25日のクリスマスに
結婚されました。
真弓さんの年齢は明らかになってませんが同年代のようです。
![](https://bobnee.com/wp-content/uploads/2024/06/zakobakfamly.jpeg)
その後、
娘さん(関口まい)にも恵まれました。
まいさんは、女優やタレント活動をされているだけあって、とてもお綺麗な方ですね。
まとめ!ざこば師匠の昔は不登校!16歳で弟子入して20代がイケメン
10歳から働いていたざこばさんは、型破りな性格で
神経質で怒りっぽいけれど、人間味溢れる性格が魅力的でした。
御冥福を心よりお祈り申し上げます。
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